中国文化大革命ポスターコレクション
1950年〜1970年代にかけた東西冷戦の時代にアメリカ、ソビエト、中国では「人民」にわかりやすい政治宣伝を展開することを目的に大量の芸術作品(音楽、美術、舞踊、映画など)が動員された。アジアのなかでは、とくに中国で1966年~1976年の「プロレタリア文化大革命」という「動乱」を経験する中で、「美帝」(アメリカ帝国主義)に対抗し、共産党と毛沢東を賛美することを目的に多くの政治ポスターが制作され、実際に「日常生活」と「労働」の現場で消費された。現在、中国の文化大革命関連のポスターコレクションは、オランダのUniversity of Amsterdam, Leiden Universityが「Chinese propaganda posters」(約2800枚)を所蔵し、中国の上海宣伝画芸術中心(shanghai propaganda poster art center)が約6000枚を所蔵していることが知られる。非文字資料研究センターが新島淳良氏から寄贈を受けた文化大革命ポスターは、点数として約200点と多くはなく、世界のレベルに及ばないが、新島氏が北京の街を直接歩きながら一点一点収集した貴重なもので、図像研究をめざす非文字資料研究センターが今後中国の図像資料を収集・研究するきっかけになることは間違いない。
近藤恒弘・久義 天津関連資料コレクション
近藤恒弘氏は1929年に天津で生まれ、幼稚園、小学校を過ごし、天津日本中学校の4年生の時に終戦を迎えた。翌1946年に日本に引揚げ、その後毎年中学のクラス会を開いてきた。2002年には天津でクラス会を開くことが企画され、近藤氏が幹事を引き受けることになった。その際、近藤氏はガイドブックを作成しようと考え、天津に関する資料を集め始めたのが収集のきっかけである。それから12年の間に、絵葉書だけでも1000枚を超すコレクションとなった。今回、寄贈いただいた資料は、日本語と中国語による地図、写真集、絵葉書、個人の写した写真、案内書、電車の切符、関連書籍などである。その後、弟の近藤久義氏からも天津関連資料を寄贈いただいた。近藤コレクションは、天津で生まれ育った両氏が収集した網羅的な資料群で、現在、センターの研究班により、様々な角度から研究が進んでおり、今後の研究成果が大いに期待されるものである。
国策紙芝居コレクション
紙芝居は、絵巻物・のぞきからくり・うつし絵・無声映画の活弁など、<見ながら話を聞く>という日本の視聴覚文化の伝統のもとにあるとされている。1950年代中盤以降、家庭へのテレビの普及にともない街頭から徐々に姿を消したが、戦前・戦後の興業ピーク時には、東京だけで一日に100 万人の観客(子ども)を集めていたと言われている。しかしまた、新聞・ラジオ・映画と並ぶ教化性の高い大衆メディアであった紙芝居は、15 年戦争に突き進んだ大政翼賛時代の言論統制下において、例外なき戦争プロパガンダの一翼を担うこととなった。この時期に制作された一連の印刷紙芝居は「国策紙芝居」と呼ばれるが、敗戦から占領に至る期間に多くが焼却され散逸した。本センターが収集した「国策紙芝居コレクション」は、主に1941 年から1949年の間に日本教育畫劇(1938 年結成日本教育紙芝居協会の紙芝居出版機関)から刊行されたものを中心とした241 点によって構成されている。旧蔵者は、『戦争と紙芝居』などの著作において、一貫して、戦時下の諸メディア・諸団体の動向と文化人の戦争責任に係る資料を発掘してきた櫻本富雄氏である。
川合安平上海写真コレクション
非文字資料研究センターの租界・居留地班は、2022年に、川合康夫氏が所蔵する「川合安平上海写真コレクション」(約1200点)の寄贈をいただいた。川合安平(かわいやすへい)は、1912 年に生まれ、1940年8月に佐世保海軍鎮守府での服務を始め、間もなく、支那方面艦隊設営部に配属を命じられ、1945年3月までのおおよそ4年半の間、海軍軍属(建築技師)として上海時代を過ごした。戦後は大阪の安井建築設計事務所で定年退職まで勤務し、2001 年(平成 13 年 6 月 20 日)に亡くなった、という。今回の寄贈アルバムは2冊(1冊目は使用カメラ六桜社ベビーパール、ヘキサー4.5 付、フィルムはベスト半裁判、番号1~660枚のネガフィルム、2冊目は使用カメラBaldax、テッサー3.5 付、フィルムはブローニー半裁判、番号1~676枚のネガフィルム)である。「川合安平上海写真コレクション」は、1940年〜1945年までの上海の街並みを撮影した場所と日時、天候、露出の絞り値などを記録している点から写真撮影の出典が確認できる貴重な資料である。
髙木幹朗研究室スライドフィルム
神奈川大学工学部髙木幹朗研究室が1970年代に数年間にわたり行った輪講「横浜の運河―都市の中の河川―」では、河川・運河の形成と歴史的変遷について、文献調査、定点観測、インタビューなどが行われた。この定点観測で撮影されたものが、「髙木幹朗研究室スライドフィルム」である。河川・運河沿いの家や商店、橋梁や新旧様々な建造物が写されており、当時急速に進む横浜の交通網の開発の中で“運河のある風景”が変貌しつつあることを明らかにしている。スライドフィルムはデジタル化が完了し、センターの研究に活用されている。